20代前半の頃、若くしてクラブのチーママを務めていた友人がいました。
優しくて、賢くて、いつの時代もちょっぴり大人。わたしが好きな女性です。
その友人と久しぶりにランチに行きました。
最後にその友人と会ったのはコロナ禍前だったので、お互いに見てくれがちょっと落ち着き、「もうそんなに時が経ったんだね~はやいね~歳とったね~」なんて言いながら、人が往来する栄えた街中を歩く休日の昼下がり。
1軒目は小洒落た洋食店。お酒も頼めます。
わたしは下戸でお腹も空いていたのでオムライス、友人はビールとちょっとしたおつまみを頼む。
そして最近どう?っていう話から始まり、友人のお子さんの話や共通の友人の恋愛話に花を咲かせます。
2軒目、わたしたちはカフェに入り、寒かったのであったかい飲み物を頼む。
引き続き他愛のない話をしていたんですけど、ふと、仕事の話になったんです。
友人「いま何をしているの?」
わたし「いまは会社辞めてフリーランスで仕事しているんだよね」
久しぶりに会った友人と交わすごく普通の会話。
いつも通りの会話。
そのはずだったんです。
ですが、口を衝いて”続き”が溢れてきました。
わたし「実はメンタル病んじゃって、会社に行けなくなっちゃんたんだよね、、、」
この話、直接あった人の中で、身内以外に話したことがありませんでした。
頻繁に遊ぶ仲が良い友人にも打ち明けたことがなかったんです。
この子なら、いままで誰にも吐露できずにいたしんどい気持ちを受け止めてくれるかもしれない――
そう思ったら、つい話していました。
休日の昼下がり。
人が往来する栄えた街中のカフェ。
大の大人の涙が止まりません。
これを皮切りに、つらかったこと、苦しいことをいろいろ聞いてもらい、心のデトックスができました。
“受け止めてくれそう”と思わせること
友人のこの力、凄すぎます。尊敬です。弟子入りしたい。
人を信用しない、変にこじらせている強情なわたしに、心を開かせ短時間で深い話をさせる人はなかなかいません。自分で言うのも難ですが
わたしもこうなりたい!そう思ったわたしは、人に心を開いてもらうためにだいすきな友人がしてくれたことについて、ちょっと考えてみました。
否定から入らない
わたしは話下手で豆腐メンタルなので、否定されるともうどうでもよくなっちゃうんですよね。
一通り話を聞いてから否定されるのはまだ良いんですけど、話の途中で「いや~」って言い出されたり、”それおかしくない?”みたいな雰囲気を出されると完全に心を閉ざします。笑
正しいか正しくないかの議論をしたいわけじゃなくて、話を聞いて欲しいだけなんだけど?みたいな。
この日の友人の対応を振り返ると、否定の言葉を掛けられることがなかったなって思いました。
圧倒的共感力
もうなんか、すごく感情に寄り添ってくれるんです。
かといって、全肯定!完全に同意!という感じではないんです。
わたしの話が善か悪か、正しいか間違いか、そこは関係なく、”気持ち”を理解してくれるんですよね。
あなたの味方ですよ感を全面に出してくれる。
そこに余計なアドバイスや要らない指摘はありません。
丁度いい相槌
ただひたすら「うんうん」と頷くだけでなく、かといって話題泥棒をするわけでもなく、丁度いいインサートを頂けるんですよね。
酷い扱いをされたと感じた話には、「え~何それ、本当に酷い!」みたいな。
言葉に感情もたっぷり乗せてくれて、わたしと同じくらい怒ってくれる程のリアクションをしてくれるんです。
話下手で豆腐メンタルなわたしでもついつい話をしたくなります。
素敵な女性は聞き上手
優しくて、賢くて、いつの時代もちょっぴり大人な友人。
水商売で若くしてチーママをされ、多くのお客様を魅了してきたであろう理由がものすごく分かりました。
素敵な女性で、尊敬しています。わたしも彼女のように、聞き上手になれるかな。